こっちは6月6日 いよいよメイン

朝早く起きる。
完全に時差ぼけ。
まだ3時。
でも、眠れない。
ハイドパークは霧に包まれ、幻想的であった。
昨日まで喧しかったロンドンは静けさを保っている。
朝ご飯は私の大好きなブリティッシュモーニング。


凄く美味しい。案の定、食べ過ぎてお腹痛くなる。
今日は、Japanese day at St Christopher’sに参加。
地下鉄はもう乗り馴れた感じ。
セントラルラインからジュビリーラインに乗り換え、
懐かしのロンドンブリッジ駅に降りれば
アゥェーでなく、ホームの匂いがする。

キツい香水の匂いに焼きたてのパン、鉄臭い匂いが混じる。
たくさんの人種が無秩序に行き交う古い駅舎にいると
頑張っていたあの頃を思い出す。

菊地先生もさすがに緊張してた感じ。
私はシデナムに着けばテンションあがっちゃう。
雪振ってる中、歩いてたよなぁ。

久々の聖クリストファに到着。
日本からうちら以外にいくつかのがん専門病院からやってきた。
みんなやる気満々。


以下に私が勉強して感じたことをダイレクトにまとめたので参照。
走り書きなので理解できないかもしれないけれど、頑張って書き上げた。
夜はロンドンバスに乗って市内観光しながら帰宅。

街中を一人で彷徨いながら歩けるようになったんだから成長したよね。
夜は中島先生、金谷先生と中華を食べにいく。

ビール飲んでたら眠くて仕方なくなる。
ホテルのバーでモスコ飲んでたら爆睡。
でも2時に起きてレポートをまとめる。
もう、また朝6時です。
散歩してこようかな。

Japanese day at St Christopher’s
Putting palliative care into practice
6th June 6, 2011

Prof, Malcolm Payne
(聖クリストファーの歴史)
19世紀、治療が困難な癌患者などに対しては、阿片による疼痛管理においても成果は乏しく、フロイトは、死別の悲しみは繋がりをなくすこと(愛着がなくなること/Bereavement as loss of attachment)であるとことを述べている。
また、医学の発達によりCareからCureへ移行したため、治療困難な疾患は無視されるようになっていった。
そのような患者達は、いくつかのカソリック系のホスピスにより終末ケアが実施されていた。1940-1950年に社会システムによるケアが必要であるとされたが、長期間の科学的根拠が乏しく、多くの阿片製剤を利用するようになる。また、この頃、愛着理論development of attachment theoryという概念が提唱され、愛する者がいなくなると残された者が孤立していくことがわかるようになってきた。そのような中、1960年にソーシャルワーカーであり、看護師であり、そして医師でもあったSaundersがReserch on pain relief(阿片は疼痛予防に使うことで疼痛から解放することが可能で余生(end of life)の質を高めることが可能であることを示し、1967年にSt Christopher’s hospiceを設立した。以後、St Christopher’s hospiceは、近代的緩和ケアの原点となり、今も発展し続けている。ここでの緩和ケアは、リハビリ専門職を含む多専門職種)チームによるケア(multi-professional care)が標準とされ、療養の場は病院ではなく「在宅」が中心としていくようになる。
 St Christopher’s hospiceの外観から歴史を知ることができる。1960年代はホスピス自体がセラピーという概念が強く、閉鎖的であったため高いビルの中で行われていた。しかし、1970年代よりホスピスの概念が地域社会やコミュニティーに開かれるようになり、建物も平面化し、オープンルームとなり、より透明性を持たすことでホスピスはアクセシブルなものとしてアニバーサリーセンターを設立、地域に認められるようになっていった(スターバクスのような環境を作った)。また、多種多様な考え方や無宗教的な背景により、キリスト教の礼拝堂ではなく、ピルグルルーム(巡礼者の部屋)として誰でも心を安らげる場所を作った。また、多面的かつ東洋的な中庭を作ることで、患者が自然と向き合い易い環境を提供するようになる。また、「死」に対する思いについて患者がオープンに語れるようデイケアでは、様々なセラピーが用意され、いつでも医療専門職と繋がりが持てるよう工夫がされていた。ここではオープンな情報を提供し、地域社会との繋がりを持つことで、緩和ケアはホスピスという施設を指すのではなく、地域社会のコミュニティを基盤とした在宅であることが示された。
 現在、セントクリストファーズ・ホスピスは4つの入院病棟(計48床)を有し、患者は入院と在宅とを盛んに行き来している。ある日の入院患者の約8割はがん患者、残りの2割は神経難病患者を含む非がん患者で、いずれも2週間前後の症状コントロール後、約半数は在宅に戻る。在宅部門では、デイケアのほかに、看護師、緩和ケア医師、リハビリ職による「在宅訪問(home visit)が行なわれている。ある日に訪問した患者数は、1日で約800名と概算された。
 2008End of life care strategy 2008(UK)の表紙に「どのようにある人が死んでいったのかは生き残った人に永久に残る」というSaundersの言葉が引用されている。全ての人にgood careが行われるべきことが強調されていた。

Deborah Holman
セントクリストファーの看護師の役割
現在、高齢社会となり、医療費は年々増大している。これまで患者は病院で亡くなることが多く、End of lifeにかかる費用も例外ではない。そのような中、調査をすると必ずしも病院で看取ることが必要でない患者が40%もおり、1/3は認知症を伴っていることが示された。また多くの患者はEnd of lifeを住み慣れた在宅で過ごすことを希望していることが示された。そのようなことから、在宅でのEnd of lifeを支援していくようになる。まず、在宅で看取ることに対し、在宅療養に関わるスタッフを教育し、コミュニティーを強くしていく必要があり、スタッフが自信を持てるようにしていくことが重要であった。つまり、End of lifeのケアはホスピスが最高のケアであると同時に、そのことが在宅でも行えるということをミッションにして取り組まれていた。
 CNSは、サポート、アドバイス、コントロールを目的とし、在宅療養を支援している。デイケアであるアニバーサリーセンターを利用(毎日、予約無く参加でき、朝9時から夜8時まで可能)し、外来患者がCNSの外来診察を受けることも可能、様々なセラピーやComplementary care(補完代替療法)も受けることができるようにすることで、患者同士がサポートし合ったり、Day careナースによる社会的交流の支援を持つことも可能であった。また、CNSからさらに専門性を持ったAdvance Practice Nurseにより迅速な入院決定をすることや薬を処方することも可能であり、在宅療養基盤が強化されている。
 また聖クリストファーホスピスの教育システムは画期的であり、自己啓発的に専門性を高めるため、自己計画を立て、そのモニタリングがされている。また、在宅療養を支援しているスタッフに対しても教育センターで研修をうけることが可能であり、近隣の大学と提携しているため修士等の資格も得られる。

Rev Dr Andrew Goodhead
聖クリストファーホスピスにおけるスピリチュアルケア
 宗教的ケアのメリットとしては、死に至るまでの儀式(祈り、聖水をつける等)により安らぎを得ることが可能である一方、デメリットとしては病気になることで「神に見放された、信じてきたのに裏切られた・・・」などの感情を持つ場合がある。聖クリストファーホスピスでは、どのような宗教に対してもアクセスブルである。
 しかしながら、近年、信仰心が高い患者はむしろ少なく、人生忙しく、そんなことを考えている暇がないといった人達の方が多くいる。そのような人達が死を目の前にすると身体的苦痛の他に精神的な苦痛(スピリチュアルペイン)が出現する。自主性を重んじる英国人が自立し生きていけなくなることにより様々なサポートを必要とするが、社会的損失感(地位や名誉)は極めて高いいため、スピリチュアルなケアを必要とすることがある。
 まず、患者が死を考えたとき、我々は良い聞き手となる必要がある(次の仕事が迫っていような素振りをみせてはいけない)。患者が自由に発想することができ、自由に思考させる。我々は同行者であり、解釈する必要は無い。患者は病気になった意味を考えるが、その思考には意味はなく、そこで得た経験に意味があることに気がつかせる。また、傾聴と簡単な質問が有効的であり、「あなたにとって大切なものはなんですか」ということに重みを置くことで様々な答えが返って来る。場合によっては「家族」や「後世に名前を残すこと」などが挙がる。「何も無い」と答える人もいる。その場合でもクリエティブケアによる活動を通し、役割が出来、新たな自分を発見することになる。

Andrea Dechamp
聖クリストファーホスピスにおける家族ケア
 聖クリストファーホスピスにおけるソーシャルワーカーは20名邸通り、その地位は高く、他の施設とは異なる(通常は医師や看護師にアドバンテージがあることが多い)。これは歴史的背景からも、現在の主要な幹部職員をみてもSWを背景にしたスタッフの活躍が極めて高い。ここのSWの活動は個別、および集団的な介入を通し、「Holistic care for total painトータルペインに対する全人的ケア」に対する家族ケアとして、単に配偶者や同居家族といった狭義のコミュニティーを指すのではなく、親戚、友人や近隣住民、そして多専門職種」チームによるケア(multi-professional care)を含めた広義の意味を指し、これらを円滑に運用できるよう支援し、Bereavement supportを行う。法律が頻回に変わるためwelfare Adviceにおいては別の職員が行う。

Dr Nigel Sykes
聖クリストファーホスピスにおける研究
 セントクリストファーズ・ホスピスのビジョンでは、Provide care,Education,Resarchの3つ視点が重要であり、ホスピスとは別棟にEducation Centerが併設されている。education programは医療従事者向けに年間2000人、外部のoutreach/consultが3000人であり、たとえば、教師や警察官などの教育を行っている。さらに、validated programsという近隣大学の修士・博士課程としてここで研究できること、医学部学生に対して、Gold fish bowl(患者-医療者の垣根を越え、対話するプログラム)が行われていること、visitors programとして本研修や子供の教育があること、National Training Initiatives end of life careとしてナーシングホームの教育を行うこと、Hospice Information Resourceとしてwebや書面での広報活動があること、図書館やブックシッョプを所有していること、Publicationとして年間103論文が掲載され、66編の学会発表(国内49編、国際学会17編)が行われていた。
 ホスピスは在宅の緩和ケアであること、死に対するケアと治療の研究を行うこと、end of life careの教育をすることとしている。またmulti-professional care teamは、「Sharing Knowledge, Skill and Values(知識・技術・価値の共有)」であることを述べていた。本研修を通して、教育環境をと整備し、教育システムを構築していくことは、神経難病に関わるスタッフのプロフェッショナルを構築し、就労意欲の維持・向上に不可欠であると考えられた。

Nigel Hartley
創造的な緩和ケア
 誰にでも訪れる死を多くの人はみないようにしている。マスコミでは悲惨な死を報道することが多く、さらに死に対し、ネガティブな意味をもたらす。ホスピスに対するイメージにおいても「死を待つ場所」もしくは閉鎖的であるイメージがあるため「死を隠す場所」というニュアンスはぬぐい去れていない。そのような中、聖クリストファーホスピスは「死は怖いものではない、ホスピスに生きたいと思ってもらうためには???」というミッションを達成するためイノベーション的なことを積極的に行ってきた。その活用として、アニバーサリーセンターを解放し、地域住民や子供達が利用できるようカフェがあったり、様々なイベントを企画した。その中には健康な人から末期患者までいる。これが当然の姿であり(Here is OK)、死を隠さないように取り組んだ。その取り組みの一環として、10歳の子供達と患者の交流を持つことにより子供達の直接的な質問に対し、直接的な答えを述べる患者とのやり取りやお互いが必要とされ、求められることにより社会の一員として認められることが緩和ケアには極めて有効であることが示された。さらに進行によりやせ細った患者に対し、服飾専門の大学生が洋服を作り、患者がモデルになることでホスピスは地域のコミュニティとして活性化し、まさに我々専門家ではなし得ない誰も想像もしない革新的な効果があることが認められた。